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2018年12月号② 第3回 世界ジュニアソフトテニス選手権大会②
苦難を乗り越えて勝利した選手に拍手を送り、今後の更なる成長を期待したい

女子U-21監督 北本英幸(強化委員長)

第1回と第2回大会との最も大きな違いは、国別対抗戦が種別に加わったことである。
ダブルス・シングルス・ダブルスの3対戦方式(点取り戦)だが、日本・韓国・中華台北の3ヶ国だけは、第1ダブルスがU-15ペア、シングルスはU-18、第2ダブルスがU-21ペアの出場と決められており、各カテゴリー2名以下のエントリーとなった。したがって、第1ダブルスと第2ダブルスは固定ペアとなり、対戦オーダーを考える際はシングルスにエントリーしたU-18の2名のうちどちらを出場させるかの判断となった。
例えば、日本女子は準決勝で中国と対戦したが、中国選手はすべてU-21選手なので日本は第1ダブルスとシングルスは年齢が上のカテゴリーの選手との対戦だった。シングルスは敗れたが、ダブルスで2勝して勝ち上がることができたが、苦戦を強いられた対戦だった。

このような変則的なルールでの戦いであったが、日本は男女とも優勝することができた。特に男子は、準決勝でU-21ダブルス優勝の中華台北ペアを本倉・丸山ペアがファイナルゲームの末に倒し、決勝戦ではU-18シングルス優勝の韓国選手を林湧太郎選手が倒し日本を優勝に導いた。ごく僅差の勝利だった。
今大会は合計14種別が行われたが、日本はそのうち10種別で金メダルを獲得することができた。しかし、シングルスではU-18の男女とも韓国に敗れ、U-21男子では決勝にも残れなかった。ダブルスは有利に試合を進められたが、U-21の男子は決勝に残れなかった。全体的には年齢が上がるにつれて実力の差が無くなり、特に韓国と中華台北が強い。日本は高校までのレベルは高いが、大学以降の強化が課題であると感じた。

試合環境も日本国内の大会とはずいぶんと違い、戸惑うことも多かった。試合スケジュールが頻繁に変わり、大会3日目はシングルスの決勝戦しか行わない予定だったのがダブルスの決勝戦も行うことになり、ホテルまでラケットや試合ウェアを取りに帰ったこともあった。
一番難しかったのは、ハードコートとクレーコートの併用である。選手によっては1回戦はハードコート、2回戦はクレーコート、3回戦は再びハードコートというように、サーフェスの違うコートでの試合が続くこともあったり、ハードコートで試合の予定が急にクレーコートに変更になったりもした。特に日本選手はハードコートでの試合に慣れておらず、すぐに疲労が蓄積して筋肉痛になったり腰痛になったりする選手が多かった。
いろいろな苦難を乗り越えて勝利した選手に拍手を送り、今後の更なる成長を期待したい。

デイリーレポート

女子U-15監督 安達 和紀

〈11月18日〉
東日本の選手は成田空港から、西日本の選手は福岡空港から、それぞれ目的地の釜山に向かった。先着していた東日本の選手の出迎えを受け合流した。すぐ宿舎のホテルに向かうはずだったが、迎えのバスが遅れているということで、食事を空港内で済ませ長時間待った。その後、バスが到着して宿舎に向かった。約2時間半要して開催地の順天(スンチョン)に到着したが夜半だった。

〈11月19日〉
朝7時15分に散歩、午前8時にテニスコートに併設された食事会場にバスで向かった。午前9時にアップ、午前10時に安道会長と野際専務理事がお出でになり、会長から選手団へ激励のお言葉を頂戴した。その後、ハードコートで練習を行った。午後1時に監督会議があり、北本、安達が出席した。

●国別対抗団体戦は、1番はU-15ダブルス、2番はU-18シングルス、3番はU-21ダブルスの順とし(日本、韓国、中華台北の3ヶ国)、他国は年齢制限なし。またU-15、U-21のダブルスは各1ペア、シングルスは2名を事前エントリーする。
●コートはハードコート及びクレーコートの両方を使用する。
●各種別の決勝はテレビ中継日に合わせる、等のルールが発表された。

選手は昼食後、ゲーム形式等を行いながら調整した。午後5時から開会式が行われた。派手なショーも行われ、楽しんだ後、食事を終えてバスで宿舎に帰った。

〈11月20日〉
午前6時15分に散歩。午前7時に出発。食事後、午前7時50分から午前8時半まで練習。午前9時からダブルス試合開始。本日は準決勝戦まで行う予定。各カテゴリーとも、予選リーグ、決勝トーナメントの方式である。
女子は全ペアが予選通過して順当に勝ち上がったが、男子U-21の上岡・広岡ペアが中華台北のNo1ペアに競り負け予選敗退した。なお、この中華台北のペアは準決勝でも本倉・丸山ペアに勝ち決勝戦に進出した。

〈11月21日〉
午前6時15分に散歩。午前7時に出発。食事後、午前7時50分から午前8時半まで練習。午前9時からシングルス開始。この日も準決勝戦まで行う予定。各国最大4名のエントリー。
女子はU-18の小林選手が韓国の選手と決勝を、U-15は濱島選手と大友選手、U-21は林田選手と貝瀬選手の日本人同士の決勝となった。
男子はU-15の幡谷選手が中華台北の選手と、U-18の高倉選手が韓国の選手と決勝を戦うことになったが、U-21は残念ながら決勝には進めなかった。進行も遅くなったが、夕食をとって宿舎に帰った。

〈11月22日〉
午前6時15分に散歩。午前7時に出発。食事後、午前7時50分から午前8時半まで練習。午前9時から国別対抗戦開始。この日は準決勝(ベスト4)までを実施。女子は日本3-0タイで準決勝に進出。男子はカンボジア、マレーシアに勝って準決勝に進出した。
午後3時からは、各種別の決勝戦が行われたが、中継される13コートは殆んど韓国選手が出場する種別に限られていた。1試合目のU-15男子ダブルス。野田・永江ペア対韓国ペアでは、アウェイ状況の中、よく頑張り勝利を掴んで優勝した。続くU-18男子シングルスで高倉選手が韓国選手と、またU-18女子の小林選手も同じく韓国選手と対戦したが、両選手とも敗れた。この日のテレビ中継最終試合、U-15男子シングルスでは幡谷選手が中華台北の選手を破り優勝した。他のコートでは日本同士の決勝戦が行われ、シングルス、ダブルスの各優勝者が決定した。優勝者の中から、幡谷、島津、林田の3選手がドーピング検査対象者として検査を受けた。量不足から長時間を要したため、3名を残して宿舎に帰った。

〈11月23日〉
この日は開始が1時間遅いため、散歩も1時間遅らせた。午前7時15分に散歩。午前8時に出発。午前8時50分から午前9時半まで練習。午前10時から準決勝戦開始。

女子は中国と、男子は中華台北と対戦。女子は、濱島・青松ペアが5-0で快勝。続く片野選手は2-4で敗退。3番手の林田・島津ペアは4-1から1ゲーム失ったが5-2で勝利して決勝進出を決めた。
男子は1番手の幡谷・武市ペアが接戦をものにして5-3で勝利。2番手 林(湧)選手1-4で敗れた。3番手の本倉・丸山ペアは序盤ペースを掴んでリードしたが、追いつかれ2-4まで追い詰められた。ここから思い切りがよくなり5-4で逆転勝利し決勝進出を決めた。

午後1時からU-21男子シングルス決勝の中華台北対韓国に続き、国別対抗戦決勝が行われた。男女とも日本対韓国戦である。
女子は1番手の濱島・青松ペアが安定した試合運びで5-1と快勝。2番手の小林選手はシングルス決勝で敗れた同じ選手だったが、1-4で敗れた。3番手の林田・島津ペアは準決勝で中国ペアに2ゲーム取られたことで、集中力が増し5-1で勝利。日本が優勝した。
男子は1番手の幡谷・武市ペアの並行陣ペア、前半は多様な仕掛けで接戦となったが、中盤からリードを許し3-5で敗れた。2番手の林(湧)選手はU-18シングルスで優勝した選手に一歩も引けを取らず好ゲームを展開。4-2で貴重な1勝を挙げた。3番手 の本倉・丸山ペアは、日本チームの勢いをそのままゲームに反映して、一方的なゲーム展開となり5-1で快勝した。男子も日本が優勝した。

この決勝戦は、テレビ中継され韓国民の多くがテレビ観戦をしたと思われる。また、コート横では、スマホを手にしながらYOUTUBEで画像を見ながら観戦する人もいた。日本では考えられない状況である。

この後、国別対抗の表彰式が行われ、夕方には食事会場の3Fでシングルスとダブルスの表彰式が行われた。日本選手の多くがメダルを手にした。

〈11月24日〉
午前8時にホテルを出発して釜山空港に向かった。西日本の選手は福岡空港へ、東日本の選手は成田空港に向かうため、空港で解散式を行って別れた。到着した空港からは、各自それぞれが自宅に向かった。

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